音に触る
パーカッショニスト、エヴリン・グレニーのドキュメンタリー映画。
『Touch the Sound そこにある音 』
様々な国のアーティストと即興演奏したり、
一人、スネア一つで演奏したりしている彼女は
身体全体で音に触れる歓びを表している。
12歳で聴覚障害と診断されてから
始めた打楽器で音に触れることを体感する。
先生が叩く全くチューニングの異なる二つのドラムの振動を
壁に手を当てて、手のひらのどこに感じたかを認識し
二つのドラムの高低差をどんどん狭めていき
微妙な差を手で感じ取れるようになったそう。
身体を共振器にし、身体を通して音を聴いている。
彼女は云う。「音を探す」と。
音は表面にはない。音は深いところにある。
たとえば歌い手は唇だけで声を出しているわけではなく
横隔膜を動かして声を出している。
聴くということも同じ。共鳴している所を探る。
映画を観ながら、ふとある事を思い出した。
一青窈さんが学生の頃、聴覚障害の方にも音楽を聴いてもらいたいと
コンドームを膨らませた風船(普通の風船より薄い)を抱えてもらい、
音の振動を感じることで聴いてもらったというエピソード。
こういう風に書くと振動で聴くことは聴覚障害の方だけのものみたいだけど
実際、五体満足な私達も音は身体を共振器として通っているんだよね。
耳が聞こえるゆえ意識していないから身体が鳴っているという感覚が鈍っているのだろう。
音は原子レベルで物質が振動した波が伝わって「聴こえる」になる訳だものね。
判りやすいところで云えば、ドラムやベースの音ってお腹にズンズンくる。
これって耳だけで聴いていないよね。身体を通っている。音の高低差も感じ取れる。
大きい音ばかりじゃない。繊細な音だって共鳴している。
エヴリンは云う。
【静寂は最も重い音】だと。
確かにジョン・ケージの<4分33秒>に代表されるように静寂も曲。
前の日記でも所々書いているが、私は“休符”が好き。
理由は、いっぱいワクワクが詰まっているからなのだけど、
色々な意味で重い音なんだよな、と改めて再確認。
日本の「鬼太鼓座(おんでこざ)」との即興演奏が個人的に好き。
小さい頃に和太鼓をやってたからか、日本人の血なのか一番心躍った。
フレッド・フリスとのレコーディングも興味深い。
周りにあるもの全てを楽器として使う。
そして、フレッドの「音楽家は呼吸が大切」という言葉。
鬼太鼓座の方も似たようなことを云っていたな。
人が音を感じることに、経歴、貧富の差、肌の色の違いは関係ない。
“聴く”ためには喜びと好奇心以外必要ありません。
と、エヴリンは云う。
歌や楽器をやってなくても是非観てほしい映画です。